こんにちは、STママ かこです。
今回は、ASD息子が保育園に通っていた時期を振り返ってみます。息子にとっても、私にとっても、少しつらい過去です。
ですが、その経験から次のステップに踏み切ることができたのも事実です。当時はモヤモヤした感情が湧き出ていましたが、そこから今に繋がる成長を経ているので、落ち着いて振り返ることができます。
息子は生後4ヶ月から、ある地方都市の小規模認定こども園(保育園)を利用していました。
保育園の先生は、それはそれは息子を可愛がってくださり、息子も嫌がることもなく、発熱時以外は毎日通いました。預かりノートの記載からも、とても良くしていただいたのが分かりました。
1学年1クラス10数人という、アットホームな雰囲気も良かったです。
小規模と言っても、同系列の認定こども園が計2つあり、運動会やお遊戯会は、合同で行っていました。園自体は小さいので、大きな行事ごとは屋内グラウンドや立派なホールを貸し切って行い、結構大掛かりで行っていました。
運動会やお遊戯会も1歳になる前から参加することになっていました。親が抱っこして種目に参加したり、ハイハイでもよちよち歩きでも、ゴールまで『かけっこ』したり。音楽に合わせて鈴を鳴らしたり、と低月齢でも発達に見合った演出がなされていました。
息子は、0歳、1歳、2歳…とクラスも上がっていきましたが、ずっと本番では『不動』でした。
初めのうちは、『まだ小さいし、マイペースだからしょうがないよね』『今年も突っ立ったままだったね』と、私も夫もあまり気にしていませんでいた。
年少クラスになると、それまで保育園要素が強かったのが、【みんなで歌を歌う時間】【みんなで制作活動をする時間】などと、みんな揃って先生の指示に従い行動することが求められるようになります。
ある時、担任の先生から『〇〇くんは、みんながお制作する時間でも、ベランダに出ようとしたり、教室の棚に登ったりして危険行動がみられます』と注意されました。
3才児健診で『発達障害疑い』とされ、児童発達支援事業所に週1回通っていること、本人の特性に対しどう対処すればいいかは、園にも報告していました。3歳7ヶ月時の新版K式発達検査の結果
そこで、週1回通っている個別支援の言語聴覚士の先生に、訪問支援員として園に来て息子の様子を見てもらいました。そして、どうすれば息子が一緒に活動しやすくなるか等アドバイスしてくださり、後日書面でも報告してもらいました。
息子の席位置から始まり、視覚的に分かりやすく指示を出すこと、見通しが立つように説明し、終わりがいつかを明確にすること、クールダウンする場所を設けるなど、今となっては定番の内容ですが、分かりやすく説明してもらったと思います。
年中になり、園の先生から『息子さんのことで困っている』と報告があり、出向きました。園長先生、副園長先生、担任の先生と顔を合わせて話をすることに。
息子がクラス活動を乱し、他の子も息子に気を取られてしまう、といった内容でした。状況はあまり変わらず、運動会のダンスもかけっこも大泣きで、地面に寝そべって動かず、先生がつきっきりで対応するといった状況でした。
『発達障害ってどういうことでしょう? 息子さんのようなお子さんをこれまで見たことがありません。うちの園では難しいんじゃないでしょうか』
それまで先生方と話をしても「はあ…そうですか」とあまり環境改善に積極的ではなさそうだ、とは思っていました。今回の話し合いで、幼稚園教諭免許を持っていても発達障害の知識をあまり持ち合わせていないようだと分かり、園では面倒見きれないといった対応でかなりショックでした。
発達障害支援法は息子が生まれる数年前の2004年に公布されましたが、現場ではその実態や対応方法はあまり知られていなかったのかもしれません。
園からの息子に対する苦言が続き、『先生の言う事聞いて!』『棚には登らないって言ったでしょ?!』とお迎え後、息子にキツく当たることもありました。
息子にとって、このままこの保育園を利用していいのか、と考えるようになりました。
その時は年中組で、このまま小規模な園で年長組を経たあとに小学校入学となると、あまりの環境の違いに順応しにくいのではないか、とも思いました。息子の学年も1クラスのみの10数人で、男の子は息子の他にもう一人いるだけだったのも、不安でした。
そこで、年長から転入できる幼稚園(認定こども園)を探すことにしたのです。
当時はバタバタして大変でしたが、今思えば、あの時転園の判断をして良かった!と思います。
転園先の幼稚園で、息子の様子が大きく変化していったのです。今の息子がいるのも、その年長時代に過ごした幼稚園の先生、友達、環境のおかげです。
詳しくは、転園して見えた!ASD息子のいい兆しでお話したいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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